量産という「かたち」の表現
造形作家松岡ミチヒロがプラモデルを手がける。
この選択は、作品を広く届けるためだけではない。
彼が築いてきた造形の強さを、もう―つの姿へと導くための試みである。
一点物の作品には、作家の時間と技術が濃く宿る。
その密度は魅力である一方、手癖や価値、希少性や作家像といった文脈が形に寄り添い、
造形そのものの輪郭が少し遠く感じられる瞬間がある。
かつて、既製品が芸術家の手によって芸術作品へと持ち上げられ、形は物語とともに読まれるものになった。
しかし量産という工程は、その流れを反転させていく。
工場の冷たい金型へと移された造形は、反復の中で文脈を手放し、
「意味をまとう前のかたち」だけを静かに残す。
文脈から離れた輪郭は、不思議と想像を呼び寄せる。どこから来たのか、どう動くのか。
存在しないはずの仕組みや時間を、人はそっと補ってしまう。
説明を持たない形ほど、こちらの思考へやさしく語りかけてくる。
金魚という生きものは、古くから人の手で形を誇張され、現実と空想のあいだを揺れ動いてきた。
その空想性が機械に触れたとき、“懐かしさと未来のかけら” をまとい、
イマジナリーデバイスとして静かに姿をととのえる。
プラモデルを組み立てるという行為は、
作家からそっと外れた空白に、あなた自身の世界を流し込むことだ。
完成したその瞬間、それは松岡ミチヒロの造形でありながら、
あなたの時間の中て再生された、個人的な空想生物となる。
ツダ イサオ

